僕たちの果て


 何故なんだ。
 男として、こうでなければならない…という哲学なんか、自分の人生の中には無かったはず。
 …と、王泥喜は頭を捻る。
 乏しい人生経験だが、彼女いない歴は22年ではない。ラブラブいちゃいちゃだったとは(かなり)言い辛いけれど、それなりにお付き合いもしてきた。
 三回目のデートでキスをしなければならないと焦った事もないし、一ヶ月たって手を出さないと不能呼ばわりされるからと焦って口説いた覚えもない。自然に、成り行きにまかせてお付き合いをさせてもらったと思っている。
 なのに、どうしてなのか?

 盛り上がってしまった王泥喜の気分は、いつの間にか離れていた手によって沈静化に向かっていた。
 気分的にはモヤモヤ部分が残ってはいたものの、公共の場所で男同士で手なんか繋げる訳がない。
 それでも、普段なら鬱陶しいくらいにまとわりつく響也が、王泥喜と人間ひとり入るくらいの距離を置いて座るのはどうなのだ。両手を太股の上に置き頬を包むようにして俯いて、一言も喋らない。

「具合悪いんですか? 横になった方が」
「いや、大丈夫。」
 …こういう風に言われる大丈夫って、正反対の言葉に聞こえるものなのだと王泥喜は知った。ナルホド、自分の返答に周囲が不安そうな顔をする訳だ…。

「あっちに自販ありましたから、飲物でも買ってきます。」
 まだ、電車が来るには時間があるだろうと、ベンチから立ち上がった王泥喜のベストを響也が掴んだ。
「平気…だから。座ってて」
 ね?と、僅かに口端を上げて笑みを演出する。
 見事なものだと思う。長い間の芸能生活の賜物なのか、浮かぶ笑顔に紛い物じみたところなどひとつもなかった。大丈夫だろうと、普通の人間ならきっと思う。
 心配だと感じつつも、彼の言葉に従っただろう。

 腕輪が痛いほどに締め付けなかったなら、絶対に気付かなかった。

 なんで、こんな場面で緊張する必要があるんだ。
 牙琉検事は具合が悪くて、それでも俺に気を許さない。それって、王泥喜法介という人間を信頼していない事かよ。
 辿りついた結論が、かなり愉快なものではなくて王泥喜はむっとする。それとも、彼が信用しているのは此処にはいない第三者?
 王泥喜の葛藤をよそに、牙琉検事は笑みを崩さない。こんな上手に嘘つく人に、容赦なんかしてあげませんからね。

「嘘つき…。」
 ぼそりと呟いた王泥喜に、微かに眉を潜める。綺麗に整った顔を歪める姿に喜びを感じるだなんて、俺は相当(S)かもしれない。
「嘘なんか、ついてな、い。」
「平気じゃないのに。」

「偽証してるくせに。」
 
「俺と一緒にいるのが、苦痛なんですか?」
「…っ、そんな訳ない!」
 黙りを続けていた牙琉検事が、ばっと顔を上げた。
「迷惑かけると思って…だから。おデコくん、ずっと怒ってるんだろ!」
 面食らって王泥喜から次の言葉が出てこないのを、響也は肯定だと断定した。
「ほら、そうじゃないか。迷惑かけたからだろ!? 
 さっきだって、凄い顔で睨んでて、今も。これ以上我が侭言ったら、絶対に嫌われると思ったから、だから…。」
 いつの間にか、腕輪の締め付けは消えていて、紛れもなく本音だと王泥喜に教えてくれる。
「だか、ら」
 熱のせいもあるんだろうけど、本当に泣きそうな顔して唇を噛む。
あ〜。王泥喜は後頭部をガリガリとキマリが悪そうに掻く。ふ〜と間の抜けた息を吐いた。ん〜と言葉を探した。
「あの、牙琉検事。」
 みぬく力なんて、対象物が定まってないと寧ろ事態を悪化させるだけなんじゃないだろうか。疑心暗鬼が、結局こんな事に行き着いてしまうのだから。
 俺はただの遊び友達で、例えば、本当は別の誰かを…だなんて。

「俺は迷惑じゃないですよ。寧ろ、先生も側にいない、両親と疎遠なこの状態で俺に頼ってくれないと、別の誰かに依存しているんじゃないかって思います。」
「おデコくんは、僕が浮気してるとでも言いたいの?」
「そうじゃないっていうか、浮気ならいいんですけど…」

 えに濁点がつきそうな声を出して響也が、王泥喜を睨み付ける。

「僕は、嫌だ! おデコくんが浮気するなんて。」
「誰もそんな事言ってないでしょうが! アンタもいい加減ひとの話を…。」
 聞け!と叫ぶ前に、口を塞がれた。重ねられた唇は柔らかく、熱い。ああ、こいつ、熱が上がってると王泥喜は思う。
 人目のある構内。
本当なら、今直ぐにでも身体を押し退けないとヤバイとわかっていたけれど、王泥喜は反対にその身体を抱き込んだ。
 背中に回された腕に、ぎょっとなって逃げたのは牙琉検事の方で、化け物でも見ているような目つきになっていた。自分からやっといて随分と失礼な奴だ。

「こんな所で、抱き合ってもいいくらいに本気です。浮気なんてしてません。」

 気の抜けた牙琉検事の顔は、世界一間抜けで誰にも見せたくないほどに、可愛らしい表情だった。  



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